組織を発展させるには社内文化が必要なのだろう

仕事を通じて社内文化の大切さを知った。

と同時に一度失われた文化を再構築することの難しさも知った。

 

 

社内文化が浸透していると、人はその文化に沿った意思決定をするようになる。

完全にマニュアル化された仕事はともかく、そうではなく現場の人間にある程度依存するような仕事であれば、「現場の人がどう考えるか」が「お客様にどういうものを提供できるか」に直結していく。

 

有名なところではリッツカールトンのクレドがある。

あれは文化とは少し違うかもしれないけど、根っこの部分で共有された考え方や「こうするのが当たり前」というような組織内の常識があれば、迷ったときに取る行動の方向性が統一される。

 

意思決定をするとき「我々の会社だったらこうする」と考えられるか「私だったらこうする」と考えるかの違いは大きい。

それが正解であるかどうかではなく、方向性が統一されるということに意味がある。
日々の意思決定が個人によって方向性が異なっていると、それだけ多くの時間とメンタルパワーが「方向性のすり合わせ」に使われてしまう。

方向性が統一されていれば「その方向でよりよい仕事をするにはどうしたらいいか」という建設的な議論に時間とメンタルパワーをかけられる。

 

多様性は大切だけど、それは根っこの部分での方向性があっていて、その上で志向の違いや得意不得意の違いなどがあると議論しあって違いを補完しあえていいねという話。

根っこが合っていないとカオスになってしまう。

 

その方向性が気に入らない人は辞めていくというのでいいんじゃないかと。

文化に正誤はないので、合う人が正しくて合わない人が間違っているというわけではない。

合う人が残り合わない人は去る。

合う人を採用して、合わない人は優秀でも採用しない。

それが、組織が余計なトランザクションコストをかけずに本当に重要なところに集中して前に進むためには重要なんだと思う。

 


一度失われた文化を再構築することがなぜが難しいかというと、方向性がなくなったところにもう一度方向性をもたらすのは組織メンバーからの抵抗がとても大きいから。

再構築しようとしている文化に合わない人がいて、その人たちはまた別の文化の方がいいと思っている。

宗教戦争のように、異なる文化の衝突が始まるとおさめることは非常に難しい。

統一された企業文化が一度希薄化すると、多くの少数文化が生じて、それを統一するのは民族統一ばりに大変な気がする。

 

ただ、会社なのでやり方はあって、おそらく社長あたりがトップダウンで進めたら合わない人が大量に退職して文化の選定みたいなことは起きるんじゃないかと。

大量に人が辞めたら会社の事業継続に支障が出る可能性もあるので会社としては大きなリスクを負うことになるけど。

しかも、組織人数が多くなればなるほどそのリスクは大きくなる。

あるいは、別の方法としては文化圏ごとに組織を分割するか。

それはそれで今度は分割された後の部署間での争いは生じそう。

 


こういうのは組織がある程度大きくなってきたら避けられないものなのか、きちんと押さえるべきところを押さえておけば避けられるものなのか。

まだよくわかっていないけど、後者だと信じてやり方を模索していきたい。

 

 

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則

 
ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階